俺は世間の主婦の方々を尊敬する。
俺自身が主夫になって、こんなに俺ってドジで不器用だったのかと感じる事が多い。
その中でも料理だ。
さらにその料理の中でも、包丁だ。
難しい。
イライラするくらい難しいのだ!
包丁を握って感じたこと
包丁を握る事に対しての恐怖感自体はなかった。
ただし、手を切らないようにしようという気持ちはとても強い。
それを恐れと言えば、そうなるのかもしれない。
まな板をセットし、野菜をまな板の上に置く。
そして、包丁を握った。
俺は思う。
これで人を刺すと死んでしまうのか・・・・
と、くだらない想像が頭をよぎる。
その野菜は、小松菜だ。
まず、根っこを切り落とした。
簡単だ。
スマホで検索したレシピを見ると、「3㎝幅にカット」と書いてある。
なぜ、3㎝なのか?
俺は勝手に考えてみる。
3㎝とはいったいどのくらいか?
ものさしで測るべきなのか?
否。
妻が包丁を使っている時にものさしで測りながら切るところを見た事がない。
俺の見ていないところで、使っていたのかもしれないが・・
ただ、俺はそんな面倒な事は絶対にやらない。
そもそも、俺は適当人間なのだ。
だから、3㎝に対してのこだわりはない・・・はずなのだ。
しかし、3㎝より大きく切ってしまうと、一体どうなってしまうのか。
逆に小さく切ってしまったらダメなのか。
そんな意味の無いことに一抹の不安を抱えながら、俺は約3㎝を目指し切る。
しまった!
最初に切った長さと次に切った長さがあまりにも違う!
それはもう、後の祭りだ。
仕方ないので、放っておく。
そして、およそ3㎝幅で切られた小松菜が包丁の左側に並んでいく。
最後の包丁を入れた瞬間、とんでもないことをしでかした事に気づいたのだ!!
なんと、最後の包丁を入れたあと左側に残った小松菜が1㎝くらいしかない!
ミスった!
あまりに適当に切りすぎた為に、うまく帳尻合わせができなかった。
不覚を取った!
まさか、この俺がこのようなミスを犯すとは。
情けない!
だが、切り替えるしかない。
もう終わったことである。
しがし、普段からネガティブ思考の俺は、気になってしまうのだ。
失敗は次に生かせばいいことなのだが・・。
わずか1㎝しかない、小松菜を煮ると一体何が起こってしまうのか。
料理初心者の俺には全くわからない。
そして、そんな事を検索してみたが、どこにも書いていない。
なぜだ?
なぜ、誰も教えてくれないのだ!
そもそも、なぜ3㎝に切るのかをレシピの中に書いていないなんておかしいじゃないか!
そこで俺は検索した。
「小松菜を3㎝に切る理由」
そのひとつに「使いやすい大きさ」と書いてあった。
使いやすい?
使うとは?
食べやすいでも、料理しやすいでもなく「使う?」
逆に疑問は増えただけだったのだ。
たかが、小松菜を切るだけでまさかこんなに奥が深いとは。
これからの主夫生活が思いやられる。
約3㎝になった小松菜を煮る
使いやすいという意味では、ここから本番のはずだ。
小松菜を煮る作業工程に移る。
まずは、ごま油で炒めた。
続いて、煮る。
準備しておいた、合わせ調味料を一気に流し込む。
実は、この合わせ調味料ひとつをとってみても、かなり苦労しているがここでは語らない。
ひとつ言えるのは、スマホを何度も覗き込みながらの作業だ。
時間がかかった。
非常に多くの時間を要した。
もちろん、小松菜以外の食材も準備した。
油揚げだ。
油揚げを切る前に事前に湯をかけるという行為が行われることも初めて知った。
油抜きをするためらしい。
独特の臭みを抜くためだとか。
どこでお湯をかけるのかも迷った。
まな板は先ほど俺を悩ませた3㎝の小松菜どもが占拠している。
アドリブでボウルに置いて湯を流し込んだ。
そして、素手で取ろうとして異常な熱さに苦しまされた。
このような苦労が途中であったことも忘れられない真実だ。
改めて小松菜を煮る工程の話に戻る。
俺はこの炒める工程と、煮る工程で使いやすいの意味がわかった気がした。
炒める時は、菜箸で転がしやすい。
そして、煮る時は味が染み込みやすいのではないか。
いや、おそらくそうに違いない。
と俺の勝手な想像だがそう考えてみた。
味見
そう、俺が今回作った料理は小松菜と油揚げの煮びたしだ。
とにかく包丁を使うのが、下手な俺ではあるが、そもそも料理自体の経験が人生の中ではほとんど皆無なのである。
仕方がないじゃないか。
もはや、やると決まった事だ。
慣れていくしかない。
ただ、練習する環境があるわけでもない。
実践あるのみだ。
今の時代はスマホでネット検索ができるという大きな武器がある。
食材を打ち込んで検索するだけで、おいしそうな料理の作り方がわかる。
もしこれが、ひと昔前であれば、料理本の通りにしないといけないと思い、足らない食材を購入しに行っていたことだろう。
今回も、簡単にスマホで検索して見つかった。
それを実際に食べてみる。
少し、味が濃いようだが、それは俺のせいではない。
レシピにそう書いてあったからだ。
ただ、苦労しただけあってうまい。
そして、ここで3㎝にカットした意味がわかった。
口に入れてちょうどいいサイズ感だ。
なるほど。
料理のしやすさと食べやすさで3㎝なのだ。
「切る」という工程がどれだけ重要なものなのかをわからせてくれた。
小松菜はすごい!
我が家では、おかずを3品作る事になっている。
包丁の使い方がとても難しい俺にとっては、とてもつらい時間だった。
今更ながら妻のすごさ、そして、世間の主婦たちのすごさを実感させられる。
男は外で稼いできているからえらいと考える時代は確実に終わるべきだと思う。
俺は団塊ジュニアだ。
団塊世代にはこの感覚は一生わからないままだろう。
俺にはそれがわかる事ができた。
母の苦労も今更ながらにわかった。
そう考えている間に時間が刻々とすぎる。
あと、2品作らないといけない。
大ピンチは続いている!
まとめ
小松菜の煮びたしを作った時の率直な俺の気持ちを書いた。
小松菜を3㎝にカットするのにも、大きな意味があるようだ。
食べやすさと料理しやすさが切るという工程に込めれているのだ。
しかし、この切る作業。
俺にとってはまだまだ始まったばかりだ。
これから、ますます難しいカット作業を経験していく事になる。